「幸せ」とは何か?一度は考えられたことのあるテーマではないでしょうか?
辞書を引くと、「幸福。好運。さいわい。また、運が向くこと。」とあります。
昨今の多様化した社会システムの中で様々な価値観がありますが、人間は元来、「幸せ」を求めて生きていると言っても過言ではないと私は思います。
はたして、今地球上にいる全人口のうち何名の方が「幸せ」を感じながら日々の生活を送ることが出来ているでしょうか。
さて、浄土真宗には「妙好人」という言葉があります。それは、泥の中に育ちながら浄い花を咲かす蓮のような浄らかな信心を、篤く身につけた信徒たちを讃えて呼ぶ言葉です。
今から約二百年前に、鳥取県に源左同行が農家に生を受けました。
源左さんが十八歳の時に父親と死別する際に、遺言で「おらが死んで、困ったことがあったら、親様を探して、親様にすがれ。」と言われたそうです。
そして、源左さんは自宅近くの手次寺のご住職に、「親様とはなんじゃ。」と聞いたところ、ご住職は、「親様とは阿弥陀様のことじゃ。阿弥陀様と相談しながら生きなさいとお父さんは言われたんだ。そのために、阿弥陀様と相談ができるまで、しっかり聴聞しなさい。」と言われたそうです。
それから源左さんは仕事の合間に本格的に聴聞を重ねられました
十年二十年と聴聞を続けた源左さんでしたが、阿弥陀様と相談することができなくて、そのことが苦しみになっていたそうです。
ある朝、雌牛を連れて草刈りに行った帰りに、腹痛になり自分が背負っていた草の束を雌牛の背中に乗せたその瞬間に、阿弥陀様にすべてをお任せするというお心が解ったそうで、それが彼の回心体験だったと言われています。
そんな源左さんは「幸せ」の極意について、「はたらく」こと、つまり「はた(側)の人をらく(楽)にすることである。」と言われました。
「幸せになろうと思ったら、はたの人を楽にしてやるこっちゃ。それ以外に幸せになる道はないで。」と源左さんが仰ったお言葉を、私たちは今こそ真剣に受け止める時なのかもしれません。
合掌
第九組 浄蓮寺
千葉 誠心