【仏青通信】『徒然草』が教えてくれたこと

郡家別院では若手僧侶の集まりである「仏教青年会」のコラムをまとめた『仏青通信』を配布しています。ホームページ転載にあたり、一部加筆、修正を行っています。

今年も、早いもので三ヶ月が過ぎ、春の彼岸会を迎えました。来月には新年度になります。

新しい年や新年度を迎えると新しい生活や新しいことに挑戦する機会が増えることでしょう。

今年こそは、あの資格を取ろうとか、心機一転して転職をしようとか、また新しい趣味への挑戦や日記などの新しいことを始めようとする人もいることでしょう。

しかし、新しいことを始めようと思ってもなかなか決心できないという経験をした人は少なくないのではないでしょうか。

新しいことをするのに、「時期尚早だからもう少し経ってから挑戦しよう」とか、「今やっていることが落ち着いてから」など理由をつけて先延ばしにしてしまうと、結局挑戦せずに終わってしまうことになります。

兼好法師が書いた『徒然草』五十九段の一文に「大事を思ひ立たん人は、さりがたく、心にかからんことの本意をとげずして、さながら捨つべきなり。」とあります。

一大事とは出家修行を決断することです。

つまり、「出家修行を思い立つような人は、避けにくく、心にかかるようなことについてのもとからの望みをなしとげないで、そのまま一切すててしまうべきである。」と訳すことができます。

「もうしばらくこのことが終わってしまって」とか「何々のことは、人の嘲笑があるかもしれない。非難のないようにきちんと整理をつけて」などの俗事にこだわっていると様々な用事が重なって結局、出家を思い立つ日も無いままで終わってしまいます。

また、『徒然草』の九十一段で「赤舌日」について書かれています。

「赤舌日」は陰陽道では特に取り上げて問題とせずに、昔の人はこの日を忌み嫌ったりはしませんでした。

しかし、ある時期から、貴族や民衆の風習において不吉な日とされるようになりました。

世間では「この日に物事をすると成就しない」とか「手に入れた物は失ってしまう。」など言われるようになりました。

つまり、「赤舌日」が、不吉な日で有るという迷信が信じられていました。

このことに対して、兼好法師は、「赤舌日」が不吉な日だと考えるのは馬鹿げていると言っています。吉凶は人の行いにあるもので日は関係ないということです。

新しいことを始めることも、この仏道修行を始めることと重なる部分があるのではないでしょうか。

限られた時間の中で時は待ってくれません。この日は日が悪いから別の日にやろうとか考えていたら結局いつまで経っても行動に移せません。

自分が始めようと思った日が吉日であり、まずは行動に移すことが大切ではないでしょうか。 

8北 錦輪寺

鴻池秀正