郡家別院では若手僧侶の集まりである「仏教青年会」のコラムをまとめた『仏青通信』を配布しています。ホームページ転載にあたり、一部加筆、修正を行っています。
毎年十二月に、年末恒例の新語・流行語大賞が発表されますね。
昨年発表された中に「初老ジャパン」という言葉があったのを、みなさん覚えていらっしゃるでしょうか。
「初老ジャパン」は、パリオリンピックで銅メダルを獲得した、総合馬術日本代表チームの愛称です。チームのメンバー四人の平均年齢が四十一歳を超えていたことから、自分たちでそう名付けたそうです。
また、今回のメダル獲得に関して、もう一つ注目を集めたことがありました。それは、日本が馬術競技においてメダルを獲得したのが、九十二年ぶり二度目のことだったということです。
では、九十二年前にメダルを獲得したのは誰だったのか。
皆さん、「バロン西」という名前を聞いたことはあるでしょうか。九十二年前にメダルを獲得した方、それが「バロン西」こと、西竹一陸軍中尉です。
「バロン」は、男爵のことですね。これは、西が男爵家の当主だったことから、そう呼ばれています。
西は、一九三二年のロサンゼルスオリンピック大障害飛越競技において、愛馬のウラヌス号と共に金メダルを獲得しました。オリンピックの馬術競技において、アジア人が金メダルを獲得したのは、今に至るまで西ただ一人です。
西は、明治三十五年(一九〇二)の生まれ。お父さんの西徳二郎という方は、外務大臣も務めた優秀な外交官でしたが、本人は軍人の道へと進み、騎兵となります。騎兵は、馬に乗って戦う兵士のことです。
そして、特にその技能が優秀であったことから、ロサンゼルスオリンピックの代表に選ばれます。
その頃、西は、オリンピックに出る馬を探していました。そんな西の耳に、ある馬の話が入ります。それは、イタリア人の騎兵将校が、乗りこなせずに持て余している馬がいるというものでした。それなら自分がと、イタリアまで見に行った西は、一目で気に入り購入します。それが、後に金メダルを獲ることになる、ウラヌスです。ウラヌスとヨーロッパで経験を積んだ西は、ロサンゼルスへと向かいます。
その当時、大障害飛越競技は、オリンピックの一番最後の種目、大トリとして、閉会式直前のメインスタジアムで行われていました。大障害飛越競技というのは、高さが最大で一六〇センチを超える障害物を、十七~十八個飛ぶ競技です。
十万人を超える観衆が見つめる中、西とウラヌスは見事一位となります。つめかけた記者に、西は一言、「We,won.」(私たちは勝った)と答えました。私たちというのは、もちろんウラヌスと一緒にということです。
この言葉に、アメリカでは「バロン西」フィーバーが起こります。男爵という家柄に加えて、スマートな顔立ち、身長も一七五センチあり、流暢な英語を話す西は、その社交的な性格もあって、一躍人気者になります。当時は日米関係が急速に悪化している中でしたが、ロサンゼルス市からは名誉市民の称号が贈られ、アメリカの自動車メーカーからは最新式の高級車が贈られています。また、ハリウッドの映画スターとも親交を深めた西は、奥さんの武子さんに「心配するな。よくもてている。」という手紙を送ったとも伝えられています。ユーモアのある、親しみやすい人柄だったようです。
そのロサンゼルスの栄光から十三年後。西の姿は硫黄島にありました。クリント・イーストウッド監督の映画『硫黄島からの手紙』にも、俳優の伊原剛志さん演じるバロン西が出てきますので、ご覧になった方もあるかと思います。
西は硫黄島に赴く前、東京で余生を過ごしていたウラヌスに会いに行き、たて髪を一房切り取って戦場に向かったといいます。西が、いつ・どのように亡くなったのかは分かっていません。未だに遺骨も発見されていません。
硫黄島守備隊の全滅から一週間後、後を追うようにウラヌスも息を引き取ります。ウラヌスが死んだと聞いた、奥さんの武子さんは、「ああ、主人はもうこの世にはいないのだ」と悟ったといいます。満四十二歳でした。
戦争は、失うばかりで何も生みません。残るのは、怒りや憎しみ・悲しみのみです。それが分かっていながら、人類は未だに戦争をやめることができずにいます。愚かなことだと思います。
パリオリンピックの後、卓球の早田ひな選手が、会見で語った言葉が印象に残っています。帰国後にやりたいことを聞かれた早田選手は、「鹿児島の特攻資料館に行って、生きていること、そして、卓球ができることが当たり前ではないということを感じたいと思う」と話しました。尊い言葉だと思います。
私たちは、毎日の生活が当たり前だと思う、そんな幸せの中にありながら、それを幸せだと感じられずにいます。ですが、もし、このことを忘れてしまうと、感謝することも、感動することも、恩を知ることも麻痺してしまって、すべてを当たり前としてしか受け取れない、むなしい生き方になってしまいます。私たちの周りに、自分の都合に合わないことはたくさんあります。
ですが、幸せなことや感謝できることも、たくさん見つけられるのではないでしょうか。
親鸞聖人は、「本願力にあいぬれば むなしくすぐる人ぞなき」とおっしゃっています。これは、「仏さまの本当の心に出会うと、つまらない・くだらない・退屈だ・やっていても意味がないと思うような、むなしい生き方にはなりませんよ」ということです。仏さまの心をいただいて、幸せが幸せだといただける心、そして、感謝できる心が尊いものだと思えるような、そういった生き方でありたいと願っています。
8南組 興泉寺
楠正亮

