郡家別院では若手僧侶の集まりである「仏教青年会」のコラムをまとめた『仏青通信』を配布しています。ホームページ転載にあたり、一部加筆、修正を行っています。
自坊円龍寺の本堂にはお釈迦さまのご生涯を表した六枚の絵が掲げられていて、釈尊絵伝と言われています。
仏教には三つの大切な日があります。
- お釈迦さまがお生まれになった日「降誕」
- お釈迦さまがお悟りをひらかれた日「成道」
- お釈迦さまがお亡くなりになった日「涅槃」
旧暦の二月十五日、満月の日に亡くなったと伝わります。
新暦に改めると、三月初めからお彼岸頃がお釈迦さまがお亡くなりになった時にあたります。
二月から三月にかけて全国各地でお涅槃と称された仏事があり、お釈迦さまのご命日を偲んでいます。
自坊の境内には、三月上旬に咲き始め、十五日頃に見頃を迎える涅槃桜があります。その淡く儚げなピンク色の花弁は、お釈迦さまの臨終を嘆き悲しみ、色が落ちてしまった沙羅双樹が連想されます。
皆様も涅槃図を一度はご覧になったことがあるでしょう。頭を北にして、顔を西に向けて、右脇を下にして横たわっているお釈迦さまの最後のお姿です。涅槃図にはお釈迦さまの周りを、多くの弟子たちだけでなく鳥獣や草木にいたるまで、ありとあらゆる生き物たちが嘆き悲しんでいる様子が描かれています。お釈迦さまの死をそれだけ深く悼み、今もなおその様子が語りつがれています。

別れの悲しみは私たち一人ひとりにも同じことが言えるでしょう。親しい人・身近な人との悲しい別れを通して、仏法に出遇うご縁となります。
お釈迦さまが修行されるきっかけとなったエピソードに四門出遊があります。お釈迦さまが城の門を出たとき、東の門で老いた人を、南の門で病に倒れた人を、西の門で亡くなった人をそれぞれ目にします。そして最後の門で僧侶の姿を見て、出家をし、生老病死の苦しみに向きあっていく決心を得ました。
今も昔も生老病死といった人間の根源的な苦しみは変わりません。しかし現代において、その苦しみから目を背けて、今だけ楽しければいい、後のことは知らないという享楽的な人生を送りがちです。
「人間の浮生なる相をつらつら観ずるに、おほよそはかなきものは、この世の始中終まぼろしのごとくなる一期なり云々」
お葬式で拝読される白骨の御文の冒頭です。浮草のように頼りとするものもなく浮かれて生きるその姿を嘆く言葉で始まります。人の最後の別れ、死というのは等しく訪れます。それはお金があろうがなかろうが、若かろうがお年寄りであろうが、避けることのできない事実です。その事実をまっすぐ受け止めていくのが仏事のご縁だと思います。
この三月はお涅槃やお彼岸のご仏事が勤まる月です。お釈迦さまのご命日、先にお浄土に生まれ往ったご先祖たちを偲ぶご縁です。
私たちはこの世に終のすみかを求めるかもしれません。しかし浄土真宗において、安住する世界は阿弥陀さまのお浄土の世界です。私たちが目指す行き先は仏さまの世界であり、還っていく場所です。死んだら終わりの世界ではありません。
私たちが頼りとするのは、必ずお浄土に生まれさせると誓われた阿弥陀さまの願いであり、南無阿弥陀仏のお念仏です。お念仏をいただいた私たちは、先にお浄土に往かれたご先祖を偲び、生死を超えた仏さまの世界からの願いを聞きます。
二度とない人生を、お涅槃・お彼岸とお浄土に往かれた亡き人をご縁として、仏さまが誓われた願いに耳を傾けることが大切なのではないでしょうか。
9組 円龍寺
金倉克啓
