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【仏青通信】こんな私

郡家別院では若手僧侶の集まりである「仏教青年会」のコラムをまとめた『仏青通信』を配布しています。ホームページ転載にあたり、一部加筆、修正を行っています。

真宗興正派、中興の祖とも言える「本寂ほんじゃく上人」の百五十回忌法要が、此度厳修されます。

時の関白、鷹司家の次男としてお生まれになった本寂上人は、明治維新後の激動期に、本願寺からの「真宗興正派」の一派独立を成されました。

高貴な生まれでありながらも、日常のささやかなよろこびを大切にされる細やかな感性の持ち主であり、その気取らないお人柄は『本寂上人日記』や、各地の逸話に残されています。

中でも、香川県に伝わる妙好人「庄松しょうま同行」との逸話は、上人のその深く柔らかなお心を今に伝えています。

逸話:庄松さんと「おかみそり」

庄松さんが初めて京都の本山で、仏弟子となる「おかみそり」を受けた時のことです。

ご門主である本寂上人が、お剃刀を庄松さんの頭にあてて、次の方に移ろうとしたその時、庄松さんはご門主の緋色の衣の袖をグイと引き留めました。

「あにき、覚悟はよいか?」

周囲の役僧たちは「無礼である」と大騒ぎでしたが、後に呼び出された庄松さんは、ご門主にこう答えました。

「赤い衣を着ていても、それで地獄を免れることはならぬ。後生の覚悟はよいか、と思うたままを言ったのじゃ」

ご門主は、その正直な心に深く頷き、「今日は兄弟の杯をするぞよ」と、庄松さんをもてなしたといいます。

この逸話は、一般的に庄松さんの豪胆さを表す話として語られますが、私はむしろ、不意に袖を引かれた側、「本寂上人」の受け止め方にこそ、深い気付きがあるように思います。

突然、袖を引かれ「覚悟はよいか」と問われた時、地位や知識のある者ならば、「無礼者」と切り捨てることも、権威で説き伏せることもできたはずです。

しかし上人は、ご自身の地位や知識といった「分かっていること」に逃げ込みませんでした。庄松同行という一人の人間、そして「後生」という問いの前に、ただ裸の心で立ち止まり、その言葉を受け止められたのです。

現代の私達はどうでしょうか。「分からない」という不安を拭うため、情報をかき集め、レッテルを貼ることで物事を「分かった気」になろうとしてはいないでしょうか。

ソクラテスは「無知の知(自分にはまだ分からないことがあると知る姿勢)」を説きましたが、本寂上人は、どれだけ立場を得ても知識に甘んずることなく、「分からない」を受け止めておられました。まさに「実るほど頭を垂れる稲穂かな」を体現されたお姿です。

古くから「実り」は、仏さまの教えである「みのり」に通じると味わわれてきました。

庄松さんが「こんなワシでも」と下からの安心を伝えた人だとしたら、本寂上人は、高貴さを備えて尚「こんな私」と頭を垂れ、人々を導いてくださった方なのかも知れません。

あふれる情報の中で失敗の機会すら奪われがちな現代だからこそ、ただひたすらに「生かされる身」をよろこんだ本寂上人の姿を、今一度訪ねてみてはいかがでしょうか。

合掌

第七南組 慈泉寺
片岡 妙晶