真宗大谷派の僧侶であり、漫画家でもある光澤裕顕さんに、ほっこりさんをテーマに4コママンガを書いていただきました。
泥中の蓮
汚れた環境の中でもそれに影響されずに、清らかさを保っていること・又はその人を表す「泥中の蓮」という言葉があります。
日常でも使われることのあることわざですが、実は仏教のある逸話が由来となっています。
「生老病死」をはじめ、人生に苦悩は付きものです。
しかし、死があることで生が尊さを帯びるように、苦悩があるからこそ幸福があるのでしょう。
苦難を避けるのではなく呑み込みながら歩む道。
それこそが、御念仏のあゆみなのかも知れません。
維摩居士というお坊さんが病気で寝込んでいると、文殊菩薩という仏が見舞いにやって来た。
文殊菩薩は「三人よれば文殊の知恵」の由来ともなった、仏の知恵を象徴する仏様だ。
そこで維摩居士は文殊菩薩に「悟りの境地に達した如来になるには、何から始めるとよいのでしょうか」と質問をした。
すると、文殊菩薩は「あらゆる煩悩が、如来になるための出発点となります」と答えました。
譬如高原陸地不生蓮花、卑湿淤泥乃生此華(譬えば、高原の陸地には蓮華を生せず、卑湿の淤泥に乃ち此の華を生ずるが如し)
訳:たとえて言えば、高い土地には美しい蓮の花は生えず、低い泥だらけの沼地の中にこそこの花が咲く。
煩悩による迷いや苦しみがあるからこそ、そこから離れる救いがある。
悟りを開かんとするならば、先ずは煩悩と向き合いなさい。
そこにこそ、悟りという蓮の種は宿るでしょう。