【仏青通信】聞き続けていく事の大切さ

郡家別院では若手僧侶の集まりである「仏教青年会」のコラムをまとめた『仏青通信』を配布しています。ホームページ転載にあたり、一部加筆、修正を行っています。

法事などの最後に拝読する「御勧章ごかんしょう」といわれるものがあります。

別の言い方で「御文章ごぶんしょう」「御文おふみ」とも言われます。

これは浄土真宗本願寺派第八世の蓮如上人れんにょしょうにんが書かれたお手紙です。

このお手紙のなかで一番短くて、よく拝読されるのが「聖人一流しょうにんいちりゅうの章」です。

郡家別院の報恩講でも二十日の晨朝の最後に拝読されます。
 
聖人一流の御勧化ごかんげの御勧化のおもむきは、

信心しんじんをもて本とせられそうろう

そのゆへは、もろもろの雑行ぞうぎょうをなげすてて、

一心に弥陀に帰命すれば、不可思議の願力として、仏のかたより往生は治定せしめたまふ。

そのくら一念発起入正定之聚いちねんぽっきにゅうしょうじょうしじゅともしゃくし、

そのうへの称名念仏は、如来わが往生をさだめたまひし御恩報尽ごおんほうじんの念仏とこころうべきなり

あなかしこ〱。

聖人一流の章には「信心」について書かれています。

「信心」とは、私が仏さまを信じる心だと思っていましたが、浄土真宗の「信心」は間違いだらけの自分勝手なものさしを捨てて、ただひたすら仏さまの教え(阿弥陀仏の本願)を聞き続けていく事だと言います。

以前あるお寺でご法話を聞いていると、布教使の先生が「お寺にお参りに来られて、この場所に座っておられるだけで、大変ありがたい事なんですよ」とおっしゃいました。

まず、なかなか聞くことのできない仏法を聞く場に身を置くということが大切なことです。

そして、ご法話を聞いて「そうだな」とうなずける身にさせていただけるのですが、また家に帰ると忘れてしまう私です。

ですから、何度もお寺にお参りしたり、お家のお仏壇に手を合わせながら仏さまの願い、亡きお方の願いを聞き続けていく事が大切だと感じます。

蓮如上人は他のお手紙で「いのちのあらんかぎりは、称名念仏しょうみょうねんぶつすべきものなり」と言われております。蓮如上人のお言葉をいただいて、私もいのちあるかぎりお念仏を称えながら仏さまの願いを聞き続けていきたいと思います。

「人間に生まれてきてよかった。ありがたい人生だった」といえるように。

南無阿弥陀仏

合掌

第8北組 善行寺 宮川浩文