郡家別院では若手僧侶の集まりである「仏教青年会」のコラムをまとめた『仏青通信』を配布しています。ホームページ転載にあたり、一部加筆、修正を行っています。
最近、日本人の宗教の意識が変化してきています。
生活の中から宗教意識や信仰心が薄れてきているように感じています。
その原因として「感謝」の気持ちが薄れてきていることにあると思います。
宗教の根本には「信心」はもちろん「感謝」の気持ちがあります。
その宗教の仏様や神様、ご先祖様、自然など私たちを見守ってくれていることに感謝をすることが宗教の根本であり信心につながっていくと思います。
またそれらの「縁」を大切に繋がっていくことが宗教として大切なことです。
日常生活における「いただきます」も宗教的な意味合いを持っています。
「いただく」は「食べる」の謙譲語です。
文法的に考えると作ってくれた人に対する感謝の気持ちを込めての「いただく」と考えることができます。
しかし、自分で料理をして食事をするときも私たちは手を合わせて「いただきます」といいます。その場合「いただきます」の敬意は作ってくれた人ではなく命をいただくということで食材に対して感謝の気持ちとして向けられています。
私たちの日常的な習慣の中にも宗教が含まれていますが、十年前くらいから「いただきます」は宗教的な意味や感謝を強制するべきでないという意見から学校の給食では「いただきます」や「ごちそうさま」を言わないところがあると聞いています。
「いただきます」「ごちそうさま」は礼儀であり、宗教的な意味を抜きにしても「命」や作ってくれた人に「感謝」するということは大切なことです。
また「いただきます」や「ごちそうさま」は宗教の壁を越えた命に「感謝」する言葉だと思います。お祭りなども自然や神様に「感謝」を表す宗教的行事です。
本来この「感謝」の気持ちが日本人の生活習慣の中にある宗教的要素を支えてきたのだと思います。しかし、最近は自然や周りの人々に「感謝」する気持ちが薄れてきています。
そのことが日本人の習慣や行事から宗教的な要素が薄れてきて商業的な要素が濃くなっているのではないかと感じています。
身近な「感謝」の気持ちが、私たちが生きていくうえでも日本人の宗教意識を支えていくのにも必要なのではないでしょうか。
第八北組 錦輪寺
鴻池 秀正