郡家別院では若手僧侶の集まりである「仏教青年会」のコラムをまとめた『仏青通信』を配布しています。ホームページ転載にあたり、一部加筆、修正を行っています。
先日「仏教では煩悩を持っとったらいかんのやろ?」と聞かれることがありました。
はたして煩悩を持つことは悪なのでしょうか。
煩悩と一言で言いましても色々な煩悩があります。
仏教では人は百八つの煩悩を持ち、その中でも三つの特に深い煩悩を持っているとされています。
それは、貪欲(とんよく)瞋恚(しんに)愚痴(ぐち)の三つで「三毒」と呼ばれています。
これらの煩悩は愚かなものであるのは確かであり、無くすべきものでしょう。
しかし、これらの欲が人を人たらしめているともいえるでしょう。
欲しい物があるから仕事を頑張ってお金を貯めよう、失敗して怒られたから努力して見返してやろうなどと、欲とは時として人の生きる活力となることもあるでしょう。
私たちには欲との縁を切って生きることは難しいのです。
ならば私たちは、欲を捨てることのできない愚か者であることを認め、完璧な者ではなく凡夫であることを自覚しなければならないでしょう。
自分が完璧ではないのだから自分の思い通りにならないのは当たり前、腹が立ったとしても自分も愚か者なのだから非があるだろう。と、
自分自身の愚かさを自覚できた時、「他力本願」の道しか残されていないことに気づきます。
自分の力では欲も捨てれず、仏のような存在になることができないのですから「南無阿弥陀仏」と、阿弥陀仏の御力に縋るのです。愚か者である自覚が阿弥陀仏への信心へとつながるのです。
第10組 立専寺
重信晃朋