【仏青通信】つながりの中に

郡家別院では若手僧侶の集まりである「仏教青年会」のコラムをまとめた『仏青通信』を配布しています。ホームページ転載にあたり、一部加筆、修正を行っています。

先日、小学生の息子の学習教材を取り寄せたところ「一部教材のお届けが遅れます」とのお知らせが入っていました。

新型コロナウイルスの影響で工場の稼働が停止し出荷が遅れているとのことでした。

教材に限らず、身の回りには海外で生産された品物があふれています。

一つの製品の中にさまざまな国や地域から集められた部品が詰まっているという話も耳にします。現代社会は思いを超えたつながりの中に成り立っている。

今回の問題で改めて実感させられます。

仏教の例話に「網の目の例え」というのがあります。

網戸や漁に使う網を想像してみれば、網の目はお互いにつながりあって網の目になっています。それと同じように、
 
すべてのものはつながりあってできている。

一つの網の目がそれだけで網の目であると考えるならば、大きな誤りである。
 
と教えられています。

私たちは縦のつながり、横のつながりの中に成り立たせてもらっています。

自分では気づかないつながりというのもあるでしょう。

他者とのつながりがなければ、「自分」という言い方もできません。

ただ、人間は「我」を立て、自分一人で生きているように錯覚する根性も抱えています。

仏さまはそんな私たちの姿を心配して網の目の例えを語ってくださったのでしょう。

つながりは時として窮屈さを感じ、ウイルスの拡散など恐ろしいことも引き起こします。

しかし、自然災害による困難を共有し、共に立ち上がろうとするつながりもあります。

「いつ・どこで・誰に」起こるか分からない災害だからこそ、共に助け合う姿に勇気づけられるものがあります。

世の中には自己責任論や生産性の有無など他者を切り捨てるような言葉もあります。

しかし、切れないつながりの中に生きていることを知らされた時、共に生きる道を求めることが始まっていくのではないでしょうか。

親鸞聖人は念仏者の心持ちを、
 
世のなか安穏なれ、仏法ひろまれ
        
と仰っています。

自他共に安らぎ歩むためにも仏さまのお言葉に耳を傾けたいものです。

善性寺 千葉 憲文