新型コロナウイルスが未だに猛威を振るい、日常生活にも不安を感じる日々が続いております。
その中で奪われた日常を思うと「無常」を感じずにはいられません。
新型コロナウイルスのような疫病は、親鸞聖人たちの時代にも度々発生しておりました。
養和、寛喜、正嘉の三度の大飢饉のときには、疫病により多くの人が命を落としたと言われています。
この時代、人々の死に対する感覚は現代よりも身近なものだったでしょうが、得体の知れない脅威に今の私たちと同様に大きな不安を感じていたことでしょう。
蓮如上人は御勧章の「白骨の章」にて、
朝には紅顔ありて、夕には白骨となれる身なり。
すでに無常の風きたりぬれば、…ただ白骨のみぞのこれり。
と、人の命の儚さと思い通りにはいかない無常を書かれています。
この無常を身近に感じる今だからこそ、日常や日々命有ることへの感謝や有り難さを感じさせられるのではないでしょうか。
10組 立専寺
重信 晃朋