郡家別院では若手僧侶の集まりである「仏教青年会」のコラムをまとめた『仏青通信』を配布しています。ホームページ転載にあたり、一部加筆、修正を行っています。
今日は秋季彼岸会へようこそのお参りでございます。この機会に少しだけお話させていただきます。
と言っても、私の話より、大変な経験をされた方のお話の方がやはり重みがあります。
今回は星野富弘さんという方を紹介したいと思います。
星野さんは群馬大学教育学部を卒業し、中学校の体育教師になります。
しかし、クラブ活動の指導中に誤って頭から転落し、脳と体をつなぐ神経を傷つけ、首から下が全く動かなくなってしまいます。
本当に人生に絶望したと思います。
しかし多くの方の支えがあって、生きていく決心をされたのでしょう。
口に筆を咥えて、絵を描いたり詩を書いたりします。
その中に『いのちより大切なもの』という詩がありますので紹介いたします。
いのちが一番大切だと思っていたころ
生きるのが苦しかった
いのちより大切なものがあると知った日
生きているのが嬉しかった
星野富弘
この詩に対して、よく「いのちより大切なものとはなんですか?」と聞かれるそうです。
その時、「その答えはこうですよ、と答えるのは簡単だけれど、きっとそれは意味のないことです。
自分で苦しみながら見つけた時に、あなたにとって意味があるのです。」そう星野さんは答えておられます。
私はその「いのちより大切なもの」とは何かが、まだ分かりませんが、「いのちより大切なもの」を見つけ出す、これからの人生の歩みを支えてくださるのが信心ではないか、そう思っています。
浄土真宗のご利益は「人生に意味を与えてくれる」そうお聞きしております。
病気をしたら病気した事に意味を見出していく。年を取ったら年取った事に意味を見出していく。
人生で一番辛いこと、それは「意味のないことをすること」これが一番辛いです。
意味があったら苦労はなんぼでもできます。
どうぞ「いのちより大切なもの」を見つけ出し、生きる意味を見出していただきたいと願います。
第9組 光明寺
直井了純