【仏青通信】生きる

 「生きる」とは何か。

昔から考えて来たテーマではありますが、今一度考えてみたいと思います。

私の父から聞いた話ですが、私が生まれて一歳になる前に、何日も四〇度近い高熱が続き、物を食べることもできずにみるみる痩せ細っていったそうです。

父はもうすぐ産まれてくる母のお腹にいる私の弟に私と同じ名前を付けようとも考えたとのことでした。

そういうことがあったからなのかどうかは定かではありませんが、小学校の低学年の頃から自分の中で「どうして自分は生きているのだろうか?何の為に生きているのだろうか?とよく自問していました。

自分の中でどれだけ考えてもその答えは出ませんでした。

ある日、小学生だった私は日常生活の中で苦しく感じることがあったので、私の父に「どうして、俺を産んだのか?と尋ねたことがありました。

返って来た答えは「俺も、生まれたくて生まれたんじゃない。俺もおばあちゃんに聞きたい。」とのことでした。

それから、三十年近く経ち学生から社会人となり十年間一般企業に勤めましたが、根底にある「何故、自分は生きているのか?という問いに答えられずにいました。

二年前に真宗興正派の僧侶として歩み始めた後に、お釈迦様の「天上天下・唯我独尊」という言葉が「私独りが尊いという意味ではなく、私がただ独りとして生まれ、ただ独りとして存在し、たった一度のかけがえない尊い人生を与えられたのですよ。」という意味だということを知った時、自分を含めたどんな生命もこの世に生を受けたということそれ自体が尊く有り難いことなんだということが解りました。

引用:本山興正寺facebook

それが解ると、少し嬉しい気持ちになりました。

自分のことも大切だし、自分のことを大切に想うからこそ、周りの人のことも自然に当然の如く大切に想うことが出来るのだと。 

その上で、頂いた生命に感謝しながら、人生における自分の果たすべき役割を探し求め続ける姿勢そのものが「生きる」ということはないでしょうか。

第九組 浄蓮寺

千葉 誠心